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1 言語学徒の「よみがえる日本語」評
umayado
特別研究員

ひらおか 2009-10-24 21:15  [返信] [編集]

友人から、うれしいメールをもらいました。

名を伏せて、紹介させていただきます。

引用:

 興味深く拝読しました。

 順調に進めば、日本を変える力となりうると感じました。
 
 ご著書での主張が社会的に認知されることになれば、日本そ
のものに対して、あるいは国民一人一人に対してまで、影響が
及ぶ可能性があると思います。例えば私の子供が学ぶ小学生の
教材にも、日本語学校の学生の学ぶ日本語教科書の内容にまで
も及ぶ影響です。


 ご著書です。

 本書の主眼は、結論に至った綿密な検証作業の掲載よりも、
むしろヲシテの言語学的な特徴を、広範な層の読者に対して周
知することを、編纂の方針としていると理解しています。つま
り、ヲシテが表意文字でありながら、表音文字であること、「
日本語の言葉の意味と成り立ち、そして文法がヲシテによって
説明できる」こと、「ヲシテの意味や特徴」などの概略の紹介
、ということです。

 以上の目的は、十分に達せられていると思いました。私は続
編を読みたいという気持ちになっています。


 拝読して感じたことはいろいろとあるのですが、以下は一言
語学徒としての感想に絞ろうと思います。一番興味深く感じた
のは、ご著書の内容がソシュール以降の近代言語学の前提に対
して、真っ向から挑む部分を持っていることです。


 まず、恣意性についてです。

 ソシュールは意味と形式は恣意的である、としました。ワン
ワン鳴く四足の動物と、/inu/ という音との間に必然的な結び
つきはない。「犬」をさす語は所変われば皆変わる。各国語で
好きなように名付けていて、そこに相互の相関はない。

 オノマトペ等はその例外として除かれましたが、それ以外の
単語などに対して、オトと意味の相関を積極的に認める言語学
者は、まずいないのが現状だと思います。

 11章の助詞のところで、を・の・と・も・よ・ぞ・こそ、な
どが全て「オ」で終わることが示されていましたが(興味深か
ったです)、こうした研究は、現在の言語学では生まれる素地
が無い様に思いました。音と恣意性が前提となるからです。レ
イコフに始まる認知言語学などから、恣意性に対する疑問(反
論に近いものだったと思います)は生まれていますが、個別言
語学からそれを言っている人は居ないんじゃないのか、と思い
ます。

 オノマトペにはオトと意味との相関を認め、それ以外につい
ては恣意的とする現在の言語学の常識は、私には不自然に映り
ます。そもそもことばがどのように生まれてきたのか、連続的
な世界を切り取る作業と、音分けが、どのように行われたのか
、ということは動物言語学者?の方々を含め、全ての言語学者
が答えを出せずにいる根源的な問題だと思います。その部分に
、ヲシテがズバッと一般言語学的な事象から切り込んでいる図
式を非常に新鮮に感じました。

 ヲシテは表意文字でありつつ、表音文字である、ということ
は、オトと意味の相関があるということの証左となります。そ
れによって、ソシュールに始まる近代言語学の常識は覆され、
大きな修正と共に、大きな進歩と、大きな新しい研究の地平が
広がることにつながってゆくと思っています。プロジェクトが
進み、仮に我が国の音分けのメカニズムのようなものまでもが
わかるとすれば、我が国の根本までもを知ることができます。
また仮に、文化による音分けの傾向が分かるとすれば、何と興
味深いんだろうと思います。

 ただ、今回のご著書は、冒頭で述べたとおり、例えば言語学
者などに対する詳細な検証課程の提示ではなく、ヲシテの言語
学的な特徴の広範な層に対する周知が編纂の主眼であると思っ
ています。


 次にもう一点、ソシュール以降の言語学との対立点を書きま
す。「ヲシテ図象が造語器として働いている」という点です。

 「ヲシテは語彙の源泉であり、文の源泉でもある。語彙も文
もヲシテから湧き出してくると言うことだ。」と8章に有りま
す。字義通り取るならば、文字が先にあり、ことばがあとにあ
る、ということになります。

 文字の唯一の存在理由は言語を表記することであり、言語学
の対象は、書かれた語と話された語との結合ではなく、はなさ
れた語が対象である。これがソシュール以降、現在の近代言語
学の常識となっています。つまり言語はオトであり、文字では
ない、文字は言語学の対象ではない、となっています。

 これに対して現在の私は、妥当な判断であると考えています
。つまり、ことばの源泉はオトから生まれるのではないか、文
字は後から生まれたのではないか、特に識字率が極めて低い社
会の中では、ことばや文法は人々の自然発生的なオト(会話な
ど)の中から生まれるのが自然ではないか、ということです。

 概略の紹介という、ご著書の性格から、記述の背景などにつ
いても続編を読みたいと思いました。


 以上、言語学徒としての感想として申し上げます。

 重ねて書くと、プロジェクトが進行し、我が国の元々の姿が
浮かび上がってくるならば、それは何にも勝る慶事だと思って
います。そのコトの大きさを考えると、政権交代なんか、屁み
たいなことに思えてきます(笑)。

 私が学校で学んだ日本の歴史は、苦痛でした。例えば、日本
の古代にあまり主体性は感じられません。受動の歴史と言える
ように思います。

 しかし長じて後、自分なりに歴史を調べなおすと、私が「日
本軍が自分の正当性の主張のために改竄した」と高校で学んだ
好太王碑は、日本軍の到達前に取られた中国の拓本によって史
実であることが、明らかになる。朝鮮半島における多くの前方
後円墳の存在。朝鮮の三国史記における、夥しい倭の進攻の記
述(逆の記述はない)。ほか多くの事実が、私達が学んである
古代の日本の姿が、事実とは異なっているのではないか、と思
わざるを得なくなりました。

 古くから大陸と主体的に深く関わっていた当時の日本が、文
字を長く持たなかった、と考えることのほうが、私には不自然
に感じます。平岡様、皆様のエネルギーと情熱に対して、頭が
下がります。



よみがえる日本語 ことばのみなもとヲシテ
   青木 純雄・平岡 憲人 (著), 池田 満 (監修)
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   http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9984499014
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